今でならイチロー選手のメディア露出の少なさはお馴染みですが、 かつてオリックスの若手時代はバラエティーにも笑顔で出演していました。 イチロー選手がメディアを拒むようになったのは、オリックスの後半あたりと言われてます。

永谷脩とイチローの関係
それまではインタビューに好意的に対応していたイチロー選手ですが、 ある日(1997年のシーズン中)週刊誌に「イチロー夢日記」と称する、 本人の断りなしのコーナーを設けたのです。 その記事は親交のあったライターが記事を執筆。 文藝春秋側は「イチローの了解は取った」と主張しましたが、 イチロー選手本人は 「僕が書いてもいないことが、僕の名前で書かれたことになっていて、記事には本当らしく『メジャーに行きたい』とつづられて いる。これってどう理解したらいいんですか」 と激怒しており、 イチロー選手のイメージのみで文章を発表したことがメディア嫌いの始まりだった思われます。 そのときのライターが永谷氏でした。 それ以降、石田雄太、義田貴士など、 本当に信頼できる記者や野球を勉強している記者以外には、 冷たく対応するようになったと言われています。しかし、現在のイチローは記者に優しい?
現在のイチロー選手のメディアへの対応は、 昔に比べて柔らかくなったみたいです。 イチロー選手はヤンキースに移籍した際には、 ニューヨークのメディアに対して、律儀な対応をしていました。
[…] のライターが永谷氏でした。 それ以降、石田雄太、義田貴士など、 本当に信頼できる記者や野球を勉強している記者以外には、 冷たく対応するようになったと言われています。(引用) […]