【WBC】楽天イーグルスから唯一選抜!侍ジャパン・松井裕樹の経歴は?

開催の度に世界中を熱くさせてくれるWBC(World Baseball Classic)、米国でも話題の日本代表に選ばれた大谷翔平選手やダルビッシュ有選手など世界的にも有名な選手はもちろん注目していると思いますが、今回は東北楽天ゴールデンイーグルスから唯一の選抜を受けた松井裕樹選手について調べてみました。

松井裕樹選手とは

松井裕樹(まついゆうき)選手は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属している投手です。左投げ左打ちで、オーバースローから最速153km/hのストレートとカーブ、チェンジアップ、スライダーを2種類、カットボールを武器に活躍しています。1995年10月30日生まれで、現在登録されている身長が174cm体重が74kg、最新のプロ野球投手の平均身長が約181.9cm平均体重が85.5kgとなっているので若干小柄なイメージの選手です。

松井裕樹選手の経歴

横浜市立山内小学校時代

小学2年生の時に「元石川サンダーボルト」で野球を始めました。左利きでしたが、入団当初は二塁と三塁を守る内野手をしていたようです。その後、3年生の頃に投手に転向しました。地元球団の横浜DeNAベイスターズに憧れ、5年生の時にセレクションを受けましたが不合格となってしまいました。6年生になり、当時同級生でチームメイトだった楠本泰史選手(現横浜DeNAベイスターズ)と、再度ベイスターズジュニアのセレクションを受けて2人揃って見事合格し、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場しました。

横浜市立山内中学校時代

進学後は楠本選手と共に「青葉緑東シニア」に所属していました。当時の青葉緑東シニアには強豪選手が多く、中学3年生の夏には全国大会の優勝を経験しました。当時、先発投手として登板していた松井裕樹選手。その変化球に注目されており話題になっていたそうです。

私立桐光学園高等学校時代

1年生

進学し野球部入部直後から注目の的で、1年生の夏に全国高等学校野球選手権神奈川大会に柏原史陽選手(現ENEOS野球部)とのダブルエースで出場しました。横浜高校との決勝戦では4回無失点の好投でしたがチームは延長10回の末にサヨナラ負け、1年秋からはエースとして一本立ちを果たしました。

2年生

2年生夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では、準々決勝で横浜高校との再戦に見事勝利し、横浜高校の4季連続優勝を阻止しました。桐蔭学園との決勝も齊藤大将(現埼玉西武ライオンズ)との投手戦を15奪三振で制してチームを5年ぶりの甲子園出場へ導きました。甲子園1回戦の今治西高校戦では大会史上最多の「10連続奪三振」「1試合22奪三振」を記録、続く2回戦常総学院高校戦でも19奪三振を挙げ2試合で41奪三振を記録し、坂東英二選手が持っていた2試合合計での最多奪三振記録を更新しました。大会は準々決勝で光星学院高校に敗れ敗退していますが、大会通算成績の36イニングを投げ防御率2.23奪三振率17.00、1大会通算68奪三振は夏の甲子園歴代3位の記録になっています。

3年生

3年生になるとスライダーを使用しない投球やチェンジアップなどに取り組み、迎えた夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では、準々決勝で因縁の横浜高校に色々対策されて敗れてしまいます。8月にはAAA世界野球選手権大会に選出され、台湾戦、韓国戦、決勝のアメリカ戦で先発して活躍したようです。9月にはプロ志望届を日本学生野球協会へ提出を表明し、翌月のドラフト会議では東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークス、横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズから1巡目で指名を受けて抽選で東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得して、1億と出来高分5000万円の契約金、年俸1500万円の条件で契約しました。

まとめ

いかがだったでしょうか?調べてみたら松井裕樹選手の経歴はやはりプロ野球選手といった感じの素晴らしいものでした。歴史に残るような記録も作り、本当にすごい選手なのだと感じさせてくれます。最近では楽天NFTも話題になり、東北楽天ゴールデンイーグルスが作られた時と同様に勢いが止まらない楽天グループ。WBCに何回も招集を受けている松井裕樹選手ですが、今後も楽天イーグルスといえば松井選手というイメージを守っていってもらいたいものです。

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投稿者 KAI